卒業ってより生還 〜電通大よさらば!我がB4堂々退場す〜
いえーい
電通大を卒業することが確定した.ばんざーい.
1年前期
東工大に落ちて他も色々落ちて,後期でここに入学することになった.それもきっかけが母親による「電通大がいいんじゃない?」の一言で,説明会やオープンキャンパスに参加することもなかった.
一人暮らしをするべきような距離に実家があるけれども,結局一人暮らしは選択しなかった.周りには自宅から通うほうが安く仕上がるからなんて言ったことがあるし,これは事実だけれども,実際は一人暮らしをしようとして結局部屋探しも何もすることなくただ時間が過ぎていっただけだった.ただこの選択はのちに功を奏することになる.
入学後は大学生活になかなか慣れず,ゴールデンウィークあたりで熱を出した.もしこの期間でなかったらと思うとぞっとする.
自宅が遠いのでサークルも結局入らなかった.電通大のクラスシステムがなければ多分ずっとぼっちだったと思う.入学後は本当に死にかけていた.
コンピュータリテラシーの授業でLinuxに触って面白かったのがきっかけで,新しいLinuxの教科書という書籍を購入した.
はじめはVirtualBox上で試していたけど,どこかの段階でノートパソコンに直にインストールした.Ubuntu,CentOS,Debian,Fedora,Arch Linuxあたりをインストールしたりコンピュータから取り除いたり,デュアルブートならぬクァドブートをやったり,結局/boot
をぶっ壊したりしたけど,それはそれで楽しかった.今はGentooを使っているけど,いつこれに変えたのかは覚えていない.
それからその本でVimを信奉するようになった.授業ではEmacsの使用法を学ぶことになっていたけどVimをずっと使い続けていた.
自動車の免許はここの夏休みで取得した.
1年後期
シラバスというものの存在をようやく知ったと思う.ただ,すべての科目のシラバスは読んでおらず,まともに読んだのはASEのものだった.けれどもこれで,ある先生が,留学生のTAと我々とが話す機会を設けていることを知ったし,事実このASEの授業はかなり充実していた.
そしてそのASEの教授から留学を勧められ,国際交流センターの先生に留学に関する相談の予約をその場でしてもらった.その後交流センターの先生は長期休暇の短期留学ではなく,半年か一年間の交換留学を勧められた.ちなみにこれに関する記事は以下に詳しく書いてある.
初めて友人の家に泊まる体験をした.実験のレポートを締め切りまでに書き上げれそうになかったという理由で.結局書き上げることはできなかったが.
春休みの間にコンピュータを組み立てたらしい.静電気が発生しやすい時期にやるのはどうかと思ったけれども,当時はポンコツマシンを使っていたので致し方がない.
それから神奈川県の南の方に出掛けた.
2年前期
多分春休みくらいにGentoo wikiの翻訳活動に参加した.最近は翻訳権を維持するくらいにしか活動していないけど,結構な数のページを翻訳した.
夏休みに入る前くらいに自作OSを始めたらしい.少なくとも自分のはりぼてOSのリポジトリの,Gitの最初のコミットが2019/08/16に行われている.
自作OSとの出会いは小学生の時にまで遡る.当時親が使っていたWindows XPで,何故か親の部屋にあるウェブサイト作成入門の書籍を読んで色々試していた*1.市立図書館に行くとだいたいコンピュータ関連の棚に行って,書籍をその場で読んでいた.そこで発見したのが以下の本である.
この本を発見したときはかなり衝撃を受けた.そもそもOSというものを自作できるとは思っておらず,どこか会社でしか開発できないと信じていた.
しかしながらその分量に圧倒され,また借りている期間だけでは到底実装できないことから,一度だけ借りたけど結局その本を真似て実装するなどはしなかった.当時は購入するという選択肢がなかった.
大学生になり,確か本屋でこの本を見かけたときはひどく驚いた.如何せん小学生当時でさえちょっと古い内容が含まれているのにも関わらず,今でも本屋の棚に置かれているとは想像もしなかった.早速本を購入して内容を写経しつつ,適当にコードを変えながら内容を読んでいった.
夏休みにT.S氏と横浜に行き,その後うちに泊まりに来た.赤レンガ倉庫や海上保安資料館横浜館,ラーメン博物館に行った.
2年後期
10月あたりで自作OSをC++でやり始めた.当時はマングリングというものを知らず,だいぶ苦労した.
Twitterでたしかこの記事を読んだ.
それからRustに興味を持って学習するようになった.そしてRustでOSを記述するようになった.らーめんとかいう安直でダサい名前をつけたのは大間違いだった.
試験終わりに2Lのファミリーサイズのアイスを3人で食べるという暴挙に出た.もう一度やりたいという話を数回しているけど,結局出来ていない.
このあとに成人を迎えた.
春休みに友人氏と一泊二日箱根に行った.新型コロナウイルスの影響を旅館も受けていて,料金が安くなっていた.
3年前期
新型コロナウイルス「ウェーイwオタクく~ん、見てる~?www今からオタク君が渡航予定の国に渡航制限掛けちゃいまーすwwww」
コロナの大流行で5月あたりに留学を辞退した.当時は「後期になる頃には流石にこのパンデミックも終わっているだろう」という楽観的な考えだったが,親の説得でキャンセルした.結局それは当たらなかった.
失われた期間の予定をどう過ごそうと考えていたら,6月くらいにサイボウズ・ラボユースというものを知った.確かTwitterでこの情報を見つけた.申込みをして面接を受けた.面接はあまり自信がなかったけど,それと書類選考の結果ラボユース生として採用された.テーマはデバイスドライバの開発で,この後OSのメモリ管理のコードとUSBデバイスのドライバを記述することになる.
それから処女落単であり,学域時代唯一の落単である哲学の科目を落とした.集中講義だからって安易に取るべきではなかった.正直さっぱり内容を理解できなかった.
3年後期
USBデバイスドライバの開発はかなり大変だった.基本的に以下の書籍を参考にした.
それからxHCIの仕様書も.
QEMU上では動くのに実機では動かなかったり,その逆があったり.そもそもデバッグ自体が難しかったので結構頭を悩ました.結局中途半端な出来になってしまったけど,それでも実機のUSBメモリからデータを読み出せたのは嬉しかった.
大学の方に関しては,研究室の選抜に落ちた.結局最初に提出した第3希望まですべて選考から漏れて,次に出した第4希望でやっと選ばれた.完全にお先真っ暗だった.
4年前期
研究生活が始まった.志望していた研究室の選考から漏れたこともあって,当初は全くその生活に期待感も何もなかったが,ちょっと興味のある分野を見つけてなんとか今まで持ちこたえている.あと教授の優しさにも助けられている.
ラボユースではRustの各ライブラリ作成を行っていた.xHCIのライブラリはRust OSDevのグループの管理下にしてもらった.
ふと,過去にやったことのあるゲームを急にやりたくなり,小中学生の頃やったことのあるフリーゲームを漁り始めた.既にダウンロードページが消えていたゲームもあって,ちょっと悲しかった.
ここで数年ぶりにらんだむダンジョンをプレイすることになった.ゴールデンウィークのあたりにはアジ・ダハーカを倒していた.
輪講のスライド vs ゲームのラスボス攻略 vs ダークライ
— _toku_san (@_toku_san) 2021年5月4日
らんだむダンジョンの表ラスボスを倒した.やったね.
— _toku_san (@_toku_san) 2021年5月5日
そしてどうやって知ったのかは覚えていないけど,作者が別のゲームを製作しているという情報を見つけてざくざくアクターズをプレイすることになり,これにハマった.人生で初めての二次創作活動も行った.あとキーホルダーやら設定集やらなんやらも購入した.
ちなみに僕はLinuxとwineを用いてこれらをプレイした.残念ながら一部の音楽は再生されなかったので,どこかでもう一度やりたい.特にバトルオブ*系のBGMが戦闘中に流れず,後で動画で初めて聴いたときはもったいないことをしたなと感じた.
4年後期
留学生のチューターを引き受けることになった.2週間の隔離期間に必要な家具やらなんやらを買ってくるために仙川まで行って両手に荷物を持って帰ってきたのは辛かった.それから,質問に対してあやふやな事を回答してしまい,時間を浪費させてしまったのは申し訳なかった.英語でコミュニケーションを取るのはちょっと楽しかった.あとビリヤニもらった.
ざくざくアクターズに触発されて,なんかゲームを作りたいなと思ってHaskellでローグライクっぽいものを書き始めた.うまくいくかわからないけど,O2氏に絵を描いてもらっている以上,ある程度の出来のものは作りたい.あと僕自信も絵を描き始めた.
そしてこれから
なんだかんだ運が良かったのだと思う.通学費は安いしそれなりにやりたいことはやれているし,素晴らしい制度にも出会えたし.
物事を小さく分割してそれぞれを完璧に仕上げるべきということを自作OSを通じて感じた.まとめて一つのコードにするのではなく,いくつかのライブラリに分割して組み立てるように.実際分割にしても物事を完璧に仕上げることは難しいし,分割していないものを完璧に仕上げることはもっと難しい.
それからもう少し積極的になっても良いのかなと感じた.引っ込み思案で不安ばっかり感じている人間だけど,やってみると案外うまくいく場合がほとんどだった.もちろんたまたまなのかもしれないけど,それでももう少し勇気を出して突っ走ってみるべきかなと思った.
謝辞
タイトルを考えていただいた || 4年間僕の生存に貢献してくださった以下の方々に感謝します.大学院に進学する方は大学院でもよろしくおねがいします.
- えびちゃん
- はまちゃん
- O2
- T.S
- あやちゃん
- Kくん
- Y.K
*1:当時はこれをプログラミングと呼んでいたが実際はどうなんだろう